”良質コンテンツ”の意味を履き違えるな!無価値なコンテンツの氾濫が生むWebの低迷とは

この記事は2016年1月4日に書かれたものです。内容が古い可能性がありますのでご注意ください。


Web設計・デザイン・マーケティングを始めてはや10年のよいどれSが、Webトレンドについて語る。
ところで、去る2015、16年を橋架ける年末年始はずっと酔いどれていた。朝目覚める度に、酒の空き缶が横にいた。
Sake love foreverだ。こんな出だしで名曲を汚してしまって申し訳ない思いでいっぱいだが、だからといって酒量が減るわけではない。

では、酩酊して瞳を閉じる前に、表題の私見をひとつ。

検索の巨人Googleが2010年以降ずっと打ち出している「コンテンツ重視」の検索結果最適化に関して、誤った見解が横行しているように思う。
それが、「どこにでもあるような話題を、料理法を変えて発信する」手法である。
新聞等、ある出来事に対する知見・見解が異なる発信をすることには意味がある。しかし、同じ結論、同じ内容の情報に対して味付けを変えることは果たして意味があるかと疑問が残る。

その最たるものが、いわゆる2次メディアである。どこかのサイトから拾ってきた情報を、そのサイトのテーマに合わせて加工し再配信するサイト群だ。
これは、特にセンスがなくても、深く考えなくても作ることができる。故にあっという間に類似サイトがネットワーク上に溢れた。いや、散らかったというべきか。
右を見ても左を見ても似たようなサイト。そして情報。あるいは結論。かの巨人は、果たしてこれらのコンテンツを”良質”と認めるのだろうか?

Google曰く、”良質なコンテンツ”の第一条件は独自性である。情報そのものの独自性、情報に対する見解の独自性、あるはその双方。
毛色は変わるがメチャクチャなことをやって人気を集めるYouTuberが、その一極における典型だろう。
品の良し悪しはともかくとして、独自性のない、言い換えれば、特にそのサイトで発信する必要が無い情報、それらに果たして価値があるのだろうか。

誤解を恐れずいうなら、そういった無価値なコンテンツの氾濫は、Webを低迷させる一因であるだろう。
前投稿でも記載した通り、Webにはストーリーが必要だ。しかし、どこかで見た情報の転用にストーリーがあるといえるだろうか。

世になるコンテンターやマーケター、もちろんデザイナー・エンジニアも、自らが担う発行物にそれらの想いを重ねているだろうか。
どこかで見た情報で安心していないだろうか。味付けを変えればオリジナルになると思っていないだろうか。

コンテンツに溢れる今だからこそ、”良質”の意味を考えなければならない。かの巨人はそんな風にメッセージを送っているように思えてならない。
……さぁ、飲むか。

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